3月18日(ブルームバーグ):1988年。私はウォール街での仕事を辞め、文筆業で生計を立てることにした。取材旅行先に関して記事が書けることを雑誌編集者たちに納得させさえすれば、どこに行っても出張費を出してくれることにわくわくした私は、どこに行きたいかを考え始めた。まず最初に行きたいと思ったのは日本だった。
そこで私は、もし東京が大地震に見舞われて壊滅したら世界で何が起きるかという記事を編集者に提案した。もちろん私には、東京が地震で崩壊したら何が起きるかなんて分からなかったし、その手掛かりすらなかった。しかし編集者という人間は信じられないほど寛容で、その一人に私は東京に数週間行かせてくれと頼んでみた。そうしたら実現してしまった。
だが、筆一本で食べていく人生に伴う問題に私はすぐ気が付いた。つまりどこかの時点でお話を書く必要があるということだ。このために有給休暇のつもりだった東京への取材旅行はほどなくして、自分にとっても不合理に思えた疑問に対する答えを必死に探す旅となってしまった。その問いとは、この新しい世界の金融センターが壊滅したら、何が起きるかというものだった。
私はラッキーだった。日本の政府や金融界にもこの壮大な疑問に答えようとし始めている人たちがいたからだ。旧国土庁に所属していた尾田栄章氏はちょうど、1923年に東京を襲った大震災同様の地震が来たと仮定した研究を終えたばかりだった。(1853年や1782年、1703年などにも大地震が起きている。)
尾田氏は、地震発生の時間や天候など、さまざまなシナリオに基づいて人命や建物が被る損失を試算した。同氏のリポートを用い、東海銀行に勤務していた日本人エコノミストも地震が経済に与える影響度合いを計算した。
15万2000人死亡か
両氏の試算はいずれも衝撃的な数字だった。尾田氏が最もあり得るとするシナリオでは、15万2000人が死亡し、80万棟のビルが倒壊、物的被害は約1兆ドル(約79兆円)。東海銀のエコノミストは金利水準が5ポイント上昇、経済成長が急激に落ちて資産価格が急落すると予想した。しかもこれらすべてが米国で起きると指摘した。
それがこうした頭の体操から導き出された構図だった。つまり、大地震が来たら日本で多くの人命が失われる一方、復興に向けた海外資産売却によって金融面の痛みは外国が負うというものだ。
自然災害の高いリスクと常に隣り合わせで生きていかねばならない国にはかなりの災害保険の備えができているが、その保険の売り手はわれわれ外国だということだった。
当時の研究にはもっと多くの詳細が盛り込まれていたが、ここで全てを振り返るつもりはない。ただ、23年前に想定されたことを実際に現在起きていることと比較するのは興味深い。
ギャップ
想定されたものと東京が実際に経験した地震は別物だ。本物は東京にかすかな打撃を与えたにすぎない。金融損失額も、今のところは1兆ドルといった数字ではないようだ。ただ1988年当時、原子力発電所で事故が起きるとは誰も思っていなかった。
今回の地震に対する金融市場の反応もせいぜいが、1988年当時に考えられたシナリオに近いという程度だ。想定では日本政府や民間保険会社が円を確保するためにありとあらゆる外貨建て資産を売り、円が急上昇するというものだった。そして、現実に円は上がっている。しかし、巨額の刺激策と輝ける経済の将来を期待して買われると当時思われていた日本株は、ひどく急落している。
想定と現実が違ったのには理由がある。市場は1988年ほど、日本経済の将来に期待していない。想定シナリオから派生する金融絡みの最も大きな唯一の疑問点は、日本が資金回帰させたいと考えた場合に米国がどれほどの影響を受けるのかという点だった。今はこれにもう一つの疑問が加わる。それは、日本が資金回帰させたいだけではなく、実際にそうすることが必要になった場合、日本にどれだけ混乱が起きるのかということだ。
日本の変化
この疑問こそが、現実と想定の比較から湧いてくるものだ。当時と現在ではいかに状況が変わってしまったかの表れでもある。1988年の日本は高い貯蓄率や巨額の貿易黒字を抱え、経済と株式市場も活況で、日本が立ち直ることは明らかだった。けれども現在の日本はほとんど絶望を感じる状況だ。
日本の国内総生産(GDP)に対する債務割合は225%超と、先進国中で最大でギリシャのほぼ2倍。政府は依然として約9000億ドルの米国債を保有しているが、国民から巨額に借り入れ、その一部を米国債購入に充ててきた。人口は高齢化して減少し、貯蓄も減る。これまで日本国債の最大の買い手だった公的年金も、最近は売り手に回った。
日本がいずれデフォルト(債務不履行)ないし債務再編を迫られるとみていた米ヘッジファンドのヘイマン・アドバイザーズは、3ポイントの金利上昇で、元利払いだけで全ての税収を日本政府が使い切ってしまうと試算している。
資源豊かだった日本
地震が起きる前の状況で既に、日本には恐らく多くの外国人に国債を買ってもらう必要があった。そうした外国人は日本の公的年金がよしとする水準をはるかに超える水準の金利を要求するだろうし、実際に上がった。
1988年の日本には、震災に伴うはるかに高いコストをカバーできる資源があった。当時の大きな疑問は、日本資本への依存が高まりつつあった人々に与える金融の影響だった。
金融界は落ち着かなくなり、日米間の状況は持続不可能に思えた。だからこそ、米国の雑誌編集者は東京に大地震が来た場合の影響に関心を持ったのだ。今や、日本人自体が実質的に破綻したシステムを維持しようとピリピリしている。
1988年を振り返ると、金融の世界は最悪の事態を想定する人間にとって脆弱(ぜいじゃく)で不安定に思えたものだが、今日の世界において、安定性はさらに損なわれ、一段と脆弱になったように見える。しかも最悪の事態はまだ起きていない。(マイケル・ルイス)
(マイケル・ルイス氏はブルームバーグ・ニュースのコラムニストで、最新作の「The Big Short」はベストセラー。このコラムの内容は同氏自身の見解です)
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