2010年2月6日土曜日

北野一氏のNY体験

(転載)
私は、88年から91年までの3年間、ニューヨークに住んでおりました。バブルの絶頂時、日本国内で運用しきれない資金(ジャパン・マネー)が、米国債市場に集中豪雨的に投資されていた時期です。当時の日本の銀行は、こうしたマネー・フローを取り込むことに躍起になっており、複数の銀行がプライマリー・ディーラーと呼ばれる当地の証券会社を買収したりしておりました。私がニューヨークに向かったのも、この米国債ビジネスにかかわるためであり、ニューヨークから帰ってきたのは、(簡単に言うと)バブルが崩壊し、ニューヨークにとどまる意味がなくなったからです。
 当時の米国の投資銀行(証券会社)には、ジャパン・デスクと呼ばれるチームが存在し、日本人を雇い、日本人向けのサービスの競争をしておりました。こうした環境と自分の努力不足もあり、私のニューヨーク滞在は「ニュー∃-クで日本を追体験してきた」といった程度のものであり、当地での生活を通して、とても「宇宙からの帰還」ほどの衝撃を受けることはありませんでした。
 ただニューヨークでは、私の生涯において、もっとも重要とも言える出会いがありました。当時、ニューヨークの為替市場でプロのディーラーとして活躍されていた若林栄四さんに教えを請う機会に恵まれたのです。
 初めて若林さんに会ったとき、私は相場についての自分の考え方を概ね次のように言いました。「予測の精度を上げることにより、収益を極大化できるはずだ」と。
 黙って私の話を聞いておられた若林さんは、最後にひと言だけおっしゃいました。
 「あなたのアプローチは、100%間違えている」と。
 「予測を的中させることと、儲けることはまったく違うことだ。そもそも予測したところで、その通りポジションをもてるとも限らない。また、仮に正しいポジションをもっていたとしても、それを的確に利食えるとも限らない。難しいのは、ポジションをもったときの、あるいはもっていない場合の、自分の恐怖心そして欲をコントロールすることだ。予測を的中させることなど、儲けるという次元から考えた場合、それほど重要なことではない」
 この言葉は、まさしく私の価値観を大きく変えました。「なるほど、儲けるということと予測を的中させることは違うのか」と、若林さんのお話の本質を外したところで、妙な理解をした私は、愚かにもそのときから相場を考えることをやめてしまいました。
 そうすると、前にもまして儲からなくなりました。しばらくして再会した若林さんに、これこれこういう理由で儲からないという話をしたとき、一瞬絶句したあと、彼は優しく、「そりゃ、ちょっとは考えんといかんよ」と教えてくださいました。
 「だいたいプロというのは、予測の段階では8割以上は当たらないかんよ。そのうえで、その果実を得るために、セルフ・コントロールが必要なんだよ」とおっしゃいました。
 「なるほど」
 勘の悪い私は、少しずつしか彼の話を理解できませんでしたが、彼との会話は、私にとってかけがえのない財産になっております。
若林さんという方は、言うまでもなく日本人です。ただ、自分の人生を誰かに預けるようなことはせず、本気で生きている人でした(もちろん、現在も現役でご活躍されています)。
 私は、海外での経験が自分の何かを変えたかと問われると、何とも答えようがありません。ただ、ニューヨークで出会った若林という日本人からは大きな影響を受けました。プロフェッショナルというものを意識し出しだのは、そのときからです。
 総サラリーマン化した日本人がショックを受けるとすれば、私の場合がそうであったように、プロフェッショナルに接したときであるように思います。
もちろん、そのプロフェッショナルは日本人であろうが、外国人であろうが同じだと私は思いますが、出会いの確率ということからすると、海外に出たほうが、プロと接する、あるいはプロを意識する機会が多いように思います。

【バサラ男の独り言】
 国内で若林さんの講演を10回近く聴かせて頂いている私は天に感謝すべきですね!

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