2011年12月25日日曜日

日本、周氏の米中接近サイン見逃す 71年外交文書

1971年7月、ニクソン米大統領が日本の頭越しに中国訪問を宣言した「ニクソン・ショック」に先立って同年2~3月に訪中した藤山愛一郎元外相に、中国の周恩来首相が「米国は変わり身が早い」と、米国が国交のない中国に接近を図っていると示唆する発言をしていたことが、22日公開の外交文書で分かった。当時、日本は対米協調で中華民国(台湾)との外交関係を堅持。周氏が送った米中接近のサインを見逃したといえそうだ。 藤山愛一郎元外相(左)と会談する中国の周恩来首相(1971年、北京・人民大会堂)=共同 71年3月11日付の外務省極秘文書によると周氏は藤山氏との会談で、日米両政府の東アジア外交を比較し「台湾に深入りしているのは米国よりも、むしろ日本だ。今後、中共(中国)との関係では米国が先行して日本が取り残されるのではないか」と指摘。さらに、後年に日本との「復交三原則」の一つとして掲げた日本と台湾による日華平和条約破棄に言及しないなど柔軟な姿勢も示した。  その一方で、日中国交正常化について「(親台湾派の)佐藤栄作首相では駄目だ」と、次期政権に期待する考えも強調した。  米国は泥沼化したベトナム戦争収束のため、70年秋ごろからパキスタンなどの仲介で関係改善の意向を中国に水面下で伝えていたと、キッシンジャー元米大統領補佐官が明らかにしている。周氏はこうした米国の動向を踏まえ、早期の日中国交回復を促す思惑があったとみられる。  藤山氏は当時、超党派の日中国交回復促進議員連盟会長。帰国後に、周氏との会談内容を外務省幹部に伝えている。  71年7月上旬、キッシンジャー氏が中国を極秘に訪れ、周氏と会談した。15日にはニクソン大統領が訪中を電撃的に発表。日本はニクソン訪中を受け、72年9月に田中角栄首相が日中国交正常化を果たした。〔共同〕

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